1.はじめに
世界遺産の熊野へ一泊旅行しました。
「紀伊山地の霊場と参詣道」がユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録
されています(2004年7月7日)。紀伊山地の霊場と参詣道とは、三重
県・奈良県・和歌山県にまたがる寺院や参詣道の総称です。
今回訪ねたのは和歌山県で、熊野三山と熊野古道などです。
今回の旅行は、私の参加している「楽しい歴史教室」の研修旅行です。
多くの社寺に祈願し、美味しい食事をよばれ、温泉で寛いだ楽しい旅でした。
2.熊野速玉大社
朝6時半に野洲市を発ち、鈴鹿峠を越えて三重県に入りました。
ひたすら南下して昼食を食べ、最初に訪れたのは熊野速玉神社(くまのはや
たまたいしゃ)です。三重県熊野市と熊野川を挟んで対峙する和歌山県新宮
市に入って直ぐの位置にあります。
熊野三山(熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社)と呼ばれる大社
の中では、最も海に近い場所です。
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鳥居も建物も、鮮やかな朱で塗られて
いました。
昔から多数の皇族の御幸があり、後白河
上皇は33回も参詣されたそうです。
←朱塗りの鳥居
↓朱塗りの拝殿
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境内に由緒書きがありました。
創建は遠い昔、定かではないようですが、ゴトビキ岩(天ノ磐盾)という岩
をご神体とした自然崇拝が源だそうです。原始信仰から神社神道へと移って
いった初期の神社のようです。
宝物殿を見学させていただきました。
沢山の貴重な品が展示されていました。京都あたりであれば、何かともった
いをつけて秘蔵扱いにしてしまうであろう国宝級の品を、さりげなく公開し
ていました。
3.熊野那智大社
新宮市を少し南下すると那智勝浦町に入ります。
熊野那智大社は小高い山の中腹にあります。バスは山のふもとのバス停まで
です。那智の滝はこのバス停から近いのですが、まずは大社詣でをしました。
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表参道は石段が続いています。
数百段の石段をあえぎながら登りました。
←石段の参道
↓朱の鳥居
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鳥居をくぐると、緩やかな石段を少し登って到着です。
↓熊野那智大社拝殿
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この那智大社の創建も、時期が定かでない位古いようです。
もともと那智大滝の近くにあったのを、仁徳天皇5年(317年)に現在の
地に遷座した、という説があるそうです。ただし、延喜式神名帳(延長5年
(927年)に完成した神社の一覧表)には載っていません。
4.青岸渡寺
青岸渡寺(せいがんとじ)は、那智大社と隣合わせにあります。
本殿の屋根が改修中で、周囲が網に覆われていたため、全体の外観を拝する
ことはできませんでした。
多数の人がこの寺へ参拝しています。
それは、西国33ヵ所の第1番札所ということにもよるでしょう。
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いつか33ヵ所巡りをすることを想定
して、私も納経帳をもとめました。
←改修中の本殿
↓本殿正面入口
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寺伝によれば、仁徳天皇(312−399年)の頃、天竺(インド)から
漂着した裸形(裸行・らぎょう)上人が草堂を開いたのが起源だそうです。
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境内から遠望する那智の大滝は絶景で
す。
←境内から見た那智の大滝
青岸渡寺から那智大滝へは参道が連なっ
ています。
古い石段の道が歴史を感じさせてくれます。
←那智大滝に向かう石段
↓近くから見た那智の大滝
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大滝の高さは133メートルで、高さ日本一を誇っています。
かの文覚が荒行をした滝(文覚の滝)は、大滝の下流にある由。文覚の情熱
を偲びたいと思いましたが、文覚の滝を訪ねる時間はありませんでした。
蛇足ながら、我が故郷の赤城山には不動大滝があります。
国定忠治の隠れ岩屋のすぐ近くにあり、高さ50メートルで、今でも滝に打
たれる人がいます。
5.補陀洛山寺
ここ那智勝浦町は、太平洋に面した温暖な地で、漁業が栄えてきた町です。
現在は、観光のひとつとして、ホエールウオッチングに人気が集まっている
ようです。
この地から、自らの意思か不可抗力かで、太平洋に乗り出して行った人、
あるいは辿りついた人が少なくなかったようです。
補陀洛山寺(ふだらくさんじ)の開山は、熊野浦に漂着したインド僧「裸形」
(裸行)によるそうです。補陀洛とは、古代サンスクリット語の観音浄土を
意味する語に由来するとのことです。
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お寺は海に近い所でした。
小高い山のふもとにありました。
補陀洛渡海船が展示されていました。
←入口
↓本堂
↓補陀洛渡海船
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船に設けられた屋形は、四方に鳥居が建てられています。
補陀洛(観音浄土)を目指す僧はわずかな食料だけを積み、入口の戸は外か
ら釘で打ち付けられたそうです。南の海にあるとされた浄土を目指す渡海船
は沖で放たれ、おそらくは黒潮に乗って太平洋の彼方へ流されたのでしょう。
渡海船の消息は記録にないそうです。
補陀洛渡海は、足摺岬や室戸岬からも行われたそうですが、記録に残って
いる40件のうち、25件が補陀洛山寺から出発しているそうです。
古くは、補陀洛山寺を開いたとされる裸形上人が渡海し、その後18世紀
まで続いたとのことです。
6.川湯温泉
宿泊は川湯温泉でした。
この温泉は、その名の通り、川に温泉が湧き出ています。発見されたのは、
およそ700年前だそうです。
吊り橋の近くに「十二薬師如来」を祀る堂があるそうです。
1月12日に例祭が行われ、吊り橋にいろいろな「揚げ物」(張り子)が1
ヶ月間吊り下げられ、観光客の眼を楽しませてくれるようです。
これは、如来が山に里帰りするときの道案内として、しめ縄を川に渡して野
菜をぶらさげたのが始まりだとか。
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泊まったのは大きなホテルで、眼の前
に露天風呂がありました。
混浴露天風呂です!
←如来が渡る(!?)吊り橋
↓ホテル前の混浴露天風呂
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川のせせらぎを聞きながら、湯に浸かって疲れを癒しました。
温泉好きの私は露天風呂に3回入りました。もしかしたら、豊満なご婦人と
一緒になるかもしれない..な、などという淫らな考えがあったわけではあ
りません!
昼間聞いた補陀洛渡海に想いを寄せ、句作に没頭していたのであります。
補陀洛も湯煙り立つや冬の宿 てる爺
昔の人々は、死というものをもっと身近かに感じていたでしょうし、修行
を積んだお坊さんにとっては、生と死を隔てる壁はほとんどなかったのかも
知れません。
煩悩の絶えない私などは、こうして湯に浸かるのが天国というものです。
7.熊野本宮大社
翌日は、まず熊野本宮大社を訪ねました。
川湯温泉から数キロ以内の近距離にあります。駐車場から見たときは平地に
ある感じでしたが、小高い丘の上にありました。
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鳥居の奥に石段が続いています。
写真を撮って最後に上がろうとしたら、
深く礼をしてから鳥居をくぐるバスガイ
ドさんの姿を見かけました。
←木造の鳥居
↓八咫烏の幟が立つ社務所
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八咫烏(やたがらす)は、神武天皇が熊野から東征するときの道案内をし
た(古事記)のだそうです。なぜ烏が敬われているかと言えば、烏は太陽に
向かって飛び立つ習性があるからだろう、ということです。
日本サッカー協会のシンボルマークにも、3本足の八咫烏が登場していま
す。これは納得です。サッカーの場合は足が多い方が便利だから。
私事ながら、野洲市では沢山の烏が近江富士をねぐらにし、我が農園の落
花生を全滅にするという悪行を働いたので、とても敬う気にはなれません。
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熊野本宮大社の創建も、時期が定かで
ないほど昔のことでしょう。
神武天皇の東征以前と伝えられているよ
うです。
←風格のある社殿
大社は、もともとは熊野川と音無川の合流点の中洲にありました。
ところが、明治33年(1900年)の大洪水で社殿のほとんどを失ったた
め、現在地に移されたそうです。
←大社のあった中洲(中央)
↓移転前の社殿を描いた絵
8.熊野古道
京の都から熊野への参詣道は、大きく分けて5つあったそうです。
中辺路(なかへじ)は、大辺路・小辺路などとならぶ参詣道のひとつです。
平安・鎌倉の時代、上皇の熊野御幸は巡拝所と宿泊施設がある中辺路を通り
ました。
都から三山巡拝の総行程は約700キロで、往復には約1ヵ月かかった由。
後白河上皇の元永2年(1119年)の御幸では、総勢814人、馬85頭
が中辺路の尾根道を一列になって続き、蟻の熊野詣と例えられたそうです。
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中辺路の古道を歩きました。
道の駅から牛馬童子像まで、およそ1キロ往復し
ました。牛と馬に跨った像で、全体の高さは50
センチ程度です。
行幸した花山(かざん)法王の旅姿だという説
があるようです。
←中辺路の熊野古道
↓牛馬童子像
9.おわりに
熊野古道の散策を楽しんだ後、白浜で昼食を食べ、南高梅などのお土産を
買って帰路につきました。
↓白浜で見たハイビスカス
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熊野とは、神の在す場所という意味があるそ
うです。
なぜ紀伊半島が熊野と位置付けられたかと言え
ば、雨が多い温暖の地で、原生林が覆う深い山
地に恵まれているからではないか、と思います。
昔から、熊野詣では多くの人々に親しまれてきました。
昔の人たちにとって、熊野詣では大行事だったに違いありません。
今回、私たちはバスで駆け巡りましたが、だからと言ってご利益が少ないと
いうことはないでしょう。
今回のバス旅行には、中年の美人ガイドさんが同行しました。
ガイドさんは神社の門をくぐるとき、いつも深く礼をしていました。
そのガイドさん曰く、「神様を敬う気持ちは、神社まで詣でてくれることで
神様がわかってくださるから、お賽銭の金額を気にするまでもありません、
と出雲の神主さんからお聞きした」由。
多くの寺社に参拝した私たちは、これから神仏の厚いご加護を頂戴できる
に違いありません。
(散策:2006年10月18−19日)
(脱稿:2006年11月29日)
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